ロールモデル
「ジブンは将来どんな大人になってるだろう…」
タイムマシンはないけれど、社会で活躍するカッコいい大人たちを知れば、
なりたい未来がきっと見つかるはず。
島根県立大学で学んだらどんな大人になれるのか、
そのイメージに近い素敵なロールモデルをご紹介します。
ロールモデル 1 藤村さん
Profile
Career
受験生時代と進路決定について
県内の普通高校に通っていました。 その頃は、将来の夢や就きたい職業も決まっていなかったため特別熱心に勉強するわけでもなく、「なんとかなるだろう」という楽観主義のもと、人並みの勉強と趣味のギターに打ち込んでいました。 いざ高校3年になり自分のこととして志望校を決める段階になると、偏差値の壁もありなかなか苦労しました。 大学一覧でみる「国際関係」や「国際文化」などの文言には惹かれていましたので、それとなくそのような大学を志望校としていました。 県大もそのなかの一つで、幸いにも担任が推薦をしてくださり、入学することができました。
大学生時代
県大では特にゼミでの活動が印象に残っています。ゼミは、高校までのような一方向的に知識を得る勉強でなく、自分とゼミ仲間と教員が双方向的に意見を述べ合う学びを特徴としています。
私は意見を述べ合うことには不慣れでしたが、それでも例えばディベートでは自分の見解の至らなさを発見できたり、卒論発表に至る発表会では他のゼミ生がもつ問題意識を知ることができたりと、とても有意義な活動だったと思います。
学業以外では軽音楽部に所属していましたので、空いた時間などは主にその仲間と過ごすことが多かったです。
どのサークルや部活でもそうだと思いますが、同じ趣味や目的を共有して活動するとより仲良くなるので、不思議といまでも連絡を取ることが多いのは大学のサークルの人たちです。
就職活動について
就職活動ではさまざまな企業を受けました。第1志望にしていた企業は最終面接まで進むことができたのですが、結局不採用通知を受けました。
ただ、落ち込んでもいられずその他の興味がある業種の企業をいくつか受けました。
最終的には、ふるさとに貢献するという企業理念に共感したため、県内で独居老人の方々に配食を行う企業に就職しました(が1年半ほどで退職しております)。
就職活動は相性や運に左右される要素が大きいと思います。第1志望に落ちても、自分の実力のせいにせず、あまり落ち込まないでください。
場所にかかわらず自分なりに頑張っていくことが大事だと思います。
現在について
その後、大学院に進学しました。実は、在学中から大学院に進学したい気持ちがあったのですが、後先のことを考えると踏ん切りがつかず、他の人と同じように就職活動をしていました。
ただ、働きながらも進学したい思いは消えず、その旨を県大時代の助手の方に相談すると力強く背中を押してくださいました。
その結果、大学院では学びたかった哲学を専攻して、修士課程まで終えました。その後、2度目の就職活動の結果、大学院での経験を買ってもらい今の就職先(出版社)に採用してもらいました。
今の職場では、大学院での学びを活かし、主に人社系の事典を作っています。一冊の本ができるまでには何年もかかります。
ただ、多くの人たちの協力のもと、ずっしりと重い1冊の事典が完成した時は感慨ひとしおです。今後も、人社系の色々な本作りにチャレンジしていきたいと思っています。
受験生のみなさんへ
みなさんへ
受験勉強、お疲れさまです。その過程で培った集中力と根気は今後も大事なときに役立ちます。 大学は好きなことを突き詰められる場所。思う存分その時にしかできないことをやってみてください。 県大は国際関係に強いので、例えば交換留学などがおすすめです。県大でしか学べないことが沢山あるはずです。 ぜひ、好きなことを突き詰めてください。
ロールモデル 2 大江さん
Profile
Career
小中高の教育魅力化コーディネーターとして、ふるさと教育の支援を行う。
その後、島根県立中央高等学校の公民科非常勤講師 任用
高校魅力化コーディネーターとして、高校の魅力化に従事
受験生時代と進路決定について
高校生活はバドミントン一色で過ごし、キャプテンやインターハイ出場の経験を経て成長することができました。 大学進学においては一人暮らしがしたかったため、京都・関西圏ではなく安心して暮らせそうな地方の国公立大学に絞って検討しました。 中学校時代かアフリカや国際関係などに興味があったため、地方にありながらも外の世界について広く学べそうな島根県立大学を志望しました。
大学生時代
予想以上の田舎で最初は驚きましたが、そんな環境だったからこそ、友人と良い関係を築くことができたと思います。また、サークルやボランティア活動、地元のバドミントンクラブを通じて地域の様々な世代の方と交流することができました。都会よりも田舎の方が自分には向いているという事を知ることができた4年間でした。
高校時代に部活に打ち込んだ反動か、とにかく色々な事をやってみたいという気持ちが強かったのですが、大学も地域も学生との距離が近く規模が小さいため、チャンスに恵まれ様々な経験をすることができました。
発展途上国の問題について学ぶ中で教育に興味を持ち、教員免許を取得。卒業論文で「国際理解教育」をテーマにしたことは現在にもつながっています。
就職活動について
教員ではなく教育に関われる仕事を中心に就職活動を行いました。
滋慶学園グループの「職業人教育を通じて社会に貢献する」というミッションに魅かれたこと。学校運営という仕事でありながら、ベンチャースピリットが重視されアクティブに仕事ができそうだと感じたこと。また、説明会や学校行事の見学を通じ信頼というものを大事にしている企業だと感じたことが決め手となりました。
京都と名古屋の専門学校で広報担当として8年間勤務しました。
現在について
大学時代に興味を持ち学んだテーマが緩やかに続いて今の私があると感じています。 専門学校と青年海外協力隊での経験から、もっと教育に関わりたい、もっと地域に根ざした仕事がしたいと考えるようになり、大学卒業後10年ぶりに島根に戻ってきました。 3年間地域おこし協力隊として教育を通じた地域づくりの活動に取り組み、現在は個人で外国人技能実習生への日本語指導や社会教育事業の企画、地域おこし協力隊の活動支援を行っています。 地方創生と国際協力というのは非常に親和性があります。将来は、またアフリカで何かできればという願望を持っていますが、その「何か」は、ここ島根で見つかるのではないかと感じています。
受験生のみなさんへ
みなさんへ
高校時代は「自分」としっかり向かい合ってみてください。
自分は何が好きなのか。自分はどんなことにワクワクするのか。
自分にとっては特別でない、大したことではないと思う事でも、そこに自分らしさがあると思います。
ロールモデル 3 中島さん
Profile
Career
受験生時代と進路決定について
志望校を検討していた時、先生から新しい大学が島根にできると教えていただいたことが、島根県立大学を最初に知ったきっかけです。 それまで、島根県にはあまり馴染みはありませんでしたが、フィールドワークを取り入れ、地域の特徴を活かしたカリキュラムが面白そうだと思い進学を決めました。
大学生時代
現在はご退職されていますが、ゼミの先生方には特にお世話になりました。少人数制のゼミなので、先生、ゼミ生同士の距離も近く、意見交換・議論が活発でした。また、フィールドワークなど、地域の方々と交流しながら実践的に学びを深めることができました。
生活面では、1年次は学生寮に入っていましたが、グループ単位で生活するようになっており、シェアハウスのような雰囲気で楽しかったです。2年次からは寮を出てアパートに移りますが、その後も寮のメンバーたちとドライブやスノーボードに行ったりと、よく一緒に過ごしていました。
就職活動について
当時、志望企業が新卒採用を行っておらず、別の県内企業に就職しました。やりがいはありましたが、やはり好きなことを仕事にしたいと思い、転職を決意しました。
小売業に転職しましたが、出店拡大の時期とも重なり、店舗勤務で全国を回りました。その後、本社勤務を経て、親会社へ異動となり、事業戦略の策定、M&A案件の検討など、経営に関わる部署に配属になりました。新しい仕事へのワクワク感と、畑違いのところに来たのではと不安もありつつ、財務諸表(企業の成績表のようなもの)が読めないと話にならないので、仕事の合間に必死に勉強しました。役員の方々に近い立場で仕事をして、経営層のモノの見方、考え方を間近で学べたのは役得だったと思います。
現在について
東京での生活は充実していましたが、3.11の東日本大震災を機にライフスタイルについて考えるようになり、今から4年前に妻の地元でもある島根県にIターンをし、島根県庁に入庁しました。最初の配属先は環境政策課という部署で、3R(リデュース、リユース、リサイクル)の普及啓発などを行いました。
昨年からは母校の島根県立大学(浜田キャンパス)に派遣となり、新学部の開設に向けた準備をしています。東京にいた頃は、島根にまた戻ってくるとも、まして母校で働くとは思ってもいなかったので、不思議な縁を感じています。お世話になった母校や島根に対して、少しでも恩返しが出来ればと思っています。
受験生のみなさんへ
みなさんへ
今年は受験を取り巻く環境変化が大きく、不安や戸惑いもあるかと思います。 外国のことわざに「幸運の女神には前髪しかない」という言葉がありますが、チャンスの女神は前髪しかなく、向かって来たときに掴まないといけない。 通り過ぎてから捕まえようにも後ろ髪がないのでつかむことが出来ないという意味です。 チャンスをつかむためには、常日頃からの準備や努力が大事だと思います。みなさんがチャンスをつかめるようにがんばってください。