<ご注意:試験公開用の臨時コンテンツです。以下は、『界隈』16(2004):4-5掲載の校正前の原稿です。もどる>
「服部文庫に接して―現状と問題」
服部文庫に出入りするようになってから一年あまりが経ったが、最近では日頃の業務の繁多さゆえ、文庫探検もままならなくなった。先頃ある場所で服部文庫について報告するよう求められ、数時間だけであったが書庫内に入った。その報告に基づき、文庫の現状を紹介し、これとあわせて、対応が求められる問題点を示しておこうと思う。
この文庫がどのようにして本学にやってきたのか。本学赴任前のことなので、その経緯はよくは知らない。その詳細は、文庫の寄贈に踏み切られた服部旦氏(以下、旦氏)による「「服部四郎文庫」設立の経緯および蔵書整理の記録」(『メディアセンター年報〈島根県立大学メディアセンター〉』2(2002) : 42-64)に記されており、これに私が付け加えるべきことはほとんどない。
この文章を書くにあたり、受贈された資料類の内訳ならびに冊数について注意してみた。平成13年7月3日現在で旦氏が作成した集計表には「総計20571点」とある。一方、服部四郎ウラル・アルタイ文庫データベース(http://dbs.u-shimane.ac.jp/hattori/index.jsp)には「約1万5千点」とある。この数は明らかに集計表の数とは異なるが、「島根県立大学長〈メディアセンター〉平成12年7月10日付文書」には「14158点(平成12年1月10日現在)」とあってほぼ一致している。すると、本学が外部に向けて発信している点数は旦氏が作成した最新の情報を反映していないのか、あるいは図書を中心とした紙媒体のもののみが搭載されているのか。受贈ならびにデータベース作成の経緯を知らない新参者の私は文庫の全体像を掴みきれていない。上述の集計表には、「モンゴル語と蒙古語は同じだから、合算の必要がある」と旦氏も記しているように、幾つか問題がある。たとえば、キリル文字やアラビア文字で書かれたテュルク諸語資料や拓本類はどこに分類されているのか、などであるが、これを明らかにするのはもはや本学の仕事である。これも含め、蔵書の点検と旦氏から提供された資料に見える情報を見直し、文庫の全貌を把握しておくべきである。
話をデータベースに移そう。服部の才能を反映して、文庫には数多くの言語・文字で書かれた文献が多数収められている。その文字データをすべてテキスト化してデータベースに搭載することは容易ではない。旦氏は、文庫を「広く公開する。インターネットの時代だから、データベース化して公開すれば必要のある研究者は遠くても訪書してくれる。」(服部2000、57頁)との希望を持っていた。これに応えるべく、勝村哲也本学名誉教授の指導の下、短時間でデータベース公開にこぎ着けたようである。アクセスすればすぐに分かるが、旦氏提供の手書き目録の画像(目録画像)と書籍の背表紙を撮影した画像(書架画像)をアルバムのように一枚ずつめくる方式を取っている。失礼ながら、実に単純な発想と方法で作られているが、これをもって情報公開の責務はまず果たしたものと評価したい。
今後より使いやすいデータベースに発展させるためにはどうすべきか。最大の問題は検索機能がないことである。検索機能を加えるためには、収蔵資料の文字データをテキスト化する必要がある。やむを得ないこととは言え、旦氏提供の手書き目録に採られた書誌には誤りの箇所が目立つので、これの補正も兼ねることができる。しかしこれには大変な労力と多言語運用能力が求められる。残念ながら本学の全スタッフを動員しても不可能であり、外部の識者の協力が必要である。さらに多言語表示と出入力を可能にするためにデータベースそのものを再構築することと、検索語句を投入するためのわかりやすいインターフェースを作成しなくてはならない。どれも難題ばかりであるが、理想的なデータベース作成のための検討は開始してもよい時期に来ているのではないだろうか。
文庫内から特徴のある資料や文献を紹介しよう。いうまでもなく私の注意を引いたものなので、モンゴルに関係したものばかりを紹介することになる。
文庫はメディアセンター二階の閉架書庫の一番奥に位置している。その右手奥の方に二つの古びたカードケースがある。その一つには、モンゴルの古典『元朝秘史』四部叢刊本を一単語ずつ切り抜いて貼り付けた上に三色でアラビア数字のスタンプを押したカードと、漢字で書かれた『元朝秘史』のモンゴル語単語を書き記したカードが収められている。これは服部の代表作でモンゴル学の不朽の名作『元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究』の基礎データとなったものであろう。もう一方には、モンゴル口語をラテン文字で表記しその意味をロシア語で記したカードが収められている。終戦直前に服部はモンゴル語辞典の編纂をおこなっていたという情報があるが、これはその辞書作成のためのデータだったのではないか。カードボックスに挟まれるようにして防湿所蔵ケースがある。その中に見つけたのが、著名なテュルク学者ラドロフの『古代モンゴルアトラス』である。これは国内にわずかしか所蔵されていないようで、赴任前、私はこれに収められている突厥文字やモンゴル文字の碑文を見るために、貸出制度のない著名な専門図書館にひと夏通い詰めたことがある。防湿所蔵ケースの手前が一般的な移動式スチール書棚になっていて、文庫の主な部分はここに排架されている。旦氏は蔵書整理にあたり、服部家における収蔵箇所(1階玄関、1階耐火書庫、など)ごとに作業を進め、手書き目録もそれに準じて作成されている。本学における現在の排架方式も旦氏のそれをそのまま引き継いでおり、服部の知の空間をそのまま保つ形になっている。文庫の中でもっとも価値のあるものと私自身が評価している、戦前に服部が蒐集したと思われる文献群はこの部分にある。たとえば、奉天で刊行されていたタタール語新聞『ミッリー・バイラク』、満州国時代の調査資料や出版物、教科書類などを挙げることができるが、とりわけ私の興味を引いたのは、戦前の日本と深い関わりを持っていた内モンゴル知識人との交流の足跡を示す書物である。戦前、東洋大学に留学し、帰国後は内モンゴルの代表的な作家となったサイチンガが編集に当たった雑誌『新しいモンゴル』、彼の代表作『砂漠の中の我が故郷』、『心の友』(「謹呈 服部先生へ サイチンガ拝」とのサインあり)、そして服部とサイチンガが協力して作成に当たった『FRONT』という日本の戦時多言語プロパガンダグラフ誌の海軍号と陸軍号のモンゴル語版原本がある。『FRONT』は1989年から1990年にかけて復刊され、その海軍号にはモンゴル語版が用いられている。復刻版を所蔵しているところは多いが、原本を所蔵している公共・大学図書館は少ないようである。これらの書物は、服部と内モンゴルの知識人との戦時中の交流の痕跡を示すに過ぎないが、服部家に保存されている書簡類にはその生々しい記録が幅広く残っていることであろう。こうした服部文庫の貴重書は、順次『界隈』の表紙に写真で紹介しており、今後もそれを継続する予定である。
以下に早急な対応を要する問題を挙げておこう。文庫の主たる部分はスチール書架に並べられている。これが実はやっかいな問題を引き起こしている。滑りやすいこの書架に並んでいる書物の一部は実際に滑って湾曲してしまっている。入庫して気が付いたその都度直しているが、知らぬ間にまた滑って曲がっている。これは仕切を設置すれば済むことであるので早急に対処可能である。次に、酸性紙の問題である。書物の中にはすでに崩壊寸前のものがある。酸化の進行を食い止めるにはそれなりの費用のかかる処置を要すると聞く。とりあえずの所は、破壊の度合いの甚だしいものから順次デジタル画像にしておくことを検討したいものである。また、服部が中国で採集した碑文の拓本が湿気を吸って相互に固着してしまい、開いて中を見ることができない状態になっている。これはすでに寄贈以前にそのような状態になっていたと聞いている。漢字や女真文字の拓本の幾つかは開いて見ることができるが、他にどのような拓本があるのか全く分からない。何とかこれらを剥離して表装し、巻子にして保存したいものである。次に、蔵書を利用する際しての至便性を考えれば、しかるべき図書館分類法に従って登録することが望ましい。このことによって現在の排架のありかたが壊れて服部の知的空間が乱れることはない。どこの図書館でもやっているように登録ラベルを貼り、それを元の場所に戻せば済むことである。上に書いたデータベースの改善と並行してこの作業をおこなってはどうだろうか。
主に文献によってモンゴルを中心とした北東アジア地域を研究している私にとって、服部のアルタイ諸語研究の成果はほとんど教科書そのものといってもよい。その服部の研究を支えてきた蔵書はまさしく私にとって教科書のネタである。もはや入手不可能な古典的名著、満洲国留学時代に収集した昭和初期の当地の文献、すでに話者を捜すのが困難になったアフガニスタンのモゴール語の録音、日本をはじめ世界の著名な学者から贈られた著書や論文抜刷、経済的な理由から学生時代に買い求めることができなかった書物などが、今は目の前にある。最近はこの文庫はもう私の物だとの錯覚に陥ることもしばしばある。それほどに服部文庫は私にとって貴重なものなのだが、これを独り占め(?)にしておくのは惜しい。その貴重さを是非とも同僚や学生、大学院生、そして市民と共有したいと願う。